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仏教語の解説
          <<喫茶養生記>>

栄西は第一次入宋時行脚途中の茶店で初めて茶を喫し、その効用を知る。また当時の禅院での飲茶の儀礼に注目し、茶の薬効と養生法・科学的知識を修得した。第二次入宋時茶種を持ち帰り、長崎平戸の初住寺院冨春庵の裏山に植えて、茶の栽培・製法・飲茶の習慣文化を弘めた。次いで背振山(石上茶)・博多聖福寺と栽培が伝わった。続いて栂尾高山寺の明恵上人に茶種が贈られ、栂尾の茶は天下第一の茶として賞味され、更に京都近郊から地方諸国に普及していった。 建保二年(1214)二月四日。栄西は二日酔で臥せていた将軍実朝に良薬と称して茶一杯を進め、「茶の徳を誉むる所の書」一巻を献上する。この書が「喫茶養生記」のことである。喫茶という言葉は宋代の俗語で、栄西が初めて日本に紹介し、茶は眠りをさまし、身心をすがすがしく保ち、坐禅工夫を容易にする養生の仙薬・延命の妙薬と説明した。


         <<背振山>>

日本三百名山。福岡県。背振山山頂にある背布利神社の開山は栄西である。

        <<栄西禅師>>

 保廷七年(一一四一)に備中国の吉備津(きびつ)神社の神主の賀陽(かや)家に生まれる。法然に遅れること8年。栄西は八才になると出家を望み、父はかつて三井寺で仏教学を学んだこともあり、倶舎論を自ら講じた。十一才、同じ郡内の安養寺の僧静心に栄西を託し、ここで倶舎論・毘婆娑論等天台教学を約六年間学ぶ。十三才で比叡山に登り、翌年十四才で落髪受戒して栄西の名を授かる。約六年比叡山と備中を往復して台密を学ぶ。十九才で再び比叡山に登り、天台教学・大蔵経止観行等天台の顕密両学を修めた。仁安三年(一一六八)28才で入宋し五ヶ月間滞在する。天台の教えを学びにゆくも、天台山・阿育王山はすでに天台から禅宗に変わっており、栄西が見聞したのは南宗禅の世界であった。栄西は第一次入宋によって宋の仏教界における禅の隆盛をまのあたりにして強い関心を持たざるをえない状況となる。帰国した栄西は天台教学中の禅の伝灯を具(つぶさ)に調べ、伝教大師最澄や天台宗祖師方の著述の中に禅の伝承が数多くあることを確認し、日本天台宗の再興には禅の興隆をはかることが必要不可欠であることを確認する。文治三年(一一八七)四十七才で第二次入宋をはたす。入宋した栄西は天台山万年寺に入り臨済宗黄龍(おうりょう)派の虚庵懐敞(きあんえしゅう)に入門、その法を嗣(つ)ぎ、二十八世菩提達磨より正脈を相承して第五十三世の禅の祖師となった。入宋中、孝宗帝(こうそうてい)よりの詔(みことのり)を得て、疫病退散の祈祷をしたり、天台山万年寺・天童山景徳寺の修復事業をしている。宋に五年滞在し、師の虚庵より明庵(みんなん)の称号を与えられ孝宗帝より千光法師の称号を与えられている。 帰国した栄西は九州各地に寺院を建立して教化を計ったが、比叡山の弾圧が日増に厳しくなり、鎌倉へ教線を張る。鎌倉幕府の篤い帰依を受け、北条政子の発願により寿福寺(鎌倉五山の第四)(五山は、建長・円覚・浄智・寿福・浄妙)の開山となる。建仁二年将軍頼家から支援で建仁寺が創立されることとなり、天台宗・真言宗に配慮し、天台・真言・禅・三宗派合同の寺としてスタートする。(年号を寺名に冠するのは天皇の勅許が必要。)更に東大寺が兵火で焼失したため、大観進職につき四年でその完成をみる。晩年、比叡山を飛びだした道元が弟子となり、最後まで道風は高かった。

仏教語の解説
仏教ご解説
     ≪方便≫

 方便を辞書で調べますと、「目的のための一時的な手段、てだて」と出ています。
更に詳しい辞書で調べますと、「仏教語、@衆生を教え導く巧みな手段、A真実の教法に誘い入れるために仮に設けた法門(入口)」とでています。
 もともとの「方便」の意味は「真理に近づく、真理に近づく方法」です。
 釈尊在世の頃、幼な子をなくした母親キサーゴータミーは釈尊の徳の高きこと、聖者・覚者であることを人伝(ひとづて)に聞いて、吾が子を生き返らせて頂こうと思いました。
釈尊を訪ねたキサーゴータミーは、吾が子が亡くなったこと、大切な大切な子で、どうしても生き返らせてもらいたいことを願い出ます。その為なら何でもしますからと懇願致します。
 本来ならば、亡くなった者はもう生き返らないのが真実です。しかし釈尊は、キサーゴータミーが悲しみのあまり、真実・真理を受け入れる余裕がないことを見抜き、キサーゴータミーにこう教えます。「キサーゴータミーよ、そなたがもし一人も家族を亡くしたことのない家を見つけ、その家から芥子の実を貰ってくることができれば、そなたの子を生き返らせてあげましょう。」(別に竈の灰の説もあります)
 キサーゴータミーは何十軒も何百軒もの家を訪ねます。「去年母が亡くなりました。」「五年前におじいちゃんが・・
・・・。」「今年夫を亡くしたばかりです。」「うちは新婚ですが私が幼い頃、父を失くしました。」
 多くの家を訪ねるうちに、キサーゴータミーは気づきました。みんな大切な人を失っても健気に生きている。大切な人を失わない人などいない。そしてキサーゴータミーは再び釈尊を訪ねます。彼女は釈尊に向ってこう言います。「聖者よ、もう吾が子を生き返らせてほしいとは望みません。そのかわり、私を釈尊の弟子にしてください。」
 道徳も倫理も人の道を説く素晴らしい教えです。しかし、仏教という宗教がより素晴らしく優れている点は教えを受け入れられない凡人が真理に気づくまでの修行が整っていることです。個人の差はあっても、必ず真理に気づく為のプロセスを二千五百年かけて築いてきたことにあります。この「真理に気づく」ことを「悟る」ともいい、「見性する」ともいいます。真理に気づきながら、見性しながら、「本来備わった如来と同等の智慧と徳」が自らの命の中に見いだされてゆく教えです。

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